2018.10.22
(2)コンピテンシーとは ②能力評価と行動評価
前回ご紹介したように、コンピテンシーとは、
① 持っている力(ちから)のうち、
② 仕事において使われて(発揮されて)いて、かつ、
③ 仕事で求められる成果につながっているもの
と、いうように、保有しているかどうかではなく、役に立っているかどうかで能力を評価、分析する視点です。
当然のことながら、従来とは評価する時の尺度(基準)も異なります。
また、コンピテンシーをこのように定義すると、よく誤解されるのが、
「ああ、要は、行動評価ってことでしょ?」
と、いうように、コンピテンシー評価を従来の『行動評価』と混同してしまうケースもよく見かけます。
そこで今回は、コンピテンシー評価の評価尺度(基準)についてご紹介する前に、従来の能力評価や行動評価が、どのような評価尺度(基準)に基づく評価方法だったのか、その考え方を振り返ってみたいと思います。
まず、従来の能力評価ですが、その評価のしかたは『基準』を設けて、それよりも『高いか』『低いか』で評価します。
わかりやすいのは、前回、前々回も取り上げた『英語力』ですね。たとえば、管理職に求める英語力の基準が、
「TOEICで700点」
だったとすると、それよりも高いか低いか、どのくらい高いか低いかで、加点または減点をして評価が決まります。
ところが、英語力のように保有能力を測定する『テスト』がきちんと準備されていればよいのですが、ビジネスで必要な能力というのは、たいていの場合、このテストを作ることそのものが難しいものです。
たとえば、論理的思考力。帰納法や演繹法、弁証法や要因分解など、ビジネスで使用される論理的思考の枠組みは多種多様です。これらの思考プロセスをどのくらい身につけているか。それを測定するテストだけでも、けっこう大変です。
しかもそれらの思考プロセスを単体で使うことは少ないですから、組み合わせて使用できるというのも、能力の要件となります。
仮に、一つ一つの問題を作ることができたとしても、今度はその点数をどうやって付けたらいいのか、基準点をどうやって設定するのか。こんな風に考えると、論理的思考力という能力を測るだけでもかなり難しいことがイメージできるのではないでしょうか。これを体系化して、TOEICのようなテストを作ることができたら、たぶんそれだけで大儲けができるビジネスになるでしょう。
それでも、論理的思考はまだいい方なのです。
もっと大変なのは、コミュニケーション力や、リーダーシップ、マネジメント力。
さらには、積極性、能動性といった姿勢面。
顧客志向や中長期的視点といった視点、視野に関わる力(ちから)。
こんな能力も『テスト』で測定しなければなりません。
「そんなの、はかりようがない!」
と、言わざるを得ない能力の方が、むしろ多いくらいです。
このように、『能力評価』は、はかりたくても測り方がわからない。なのに、無理やり制度に落とし込もうとしたので、結局、
「会社や上司の期待」
という、曖昧な定義で『基準』とし、
「その期待を満たしていたか、超えたか、不足していたか。」
という、上司の主観で評価せざるをえませんでした。
実はこの、『期待』をきちんと言語化して説明できる上司も、世の中にはたくさんいました。私もコンサルティングの現場でよく出会ったものですが、こういった人たちは、自分の仕事に結び付けて、
「この仕事をこのレベルでできれば、この項目はOK。」
と、いった基準を自分なりにしっかり作り、それを期中に要所要所でテストをして、しっかりと部下を評価していました。
かなり優秀な管理職の方ならば、以前の能力評価でも部下の評価、育成、活用がしっかりできていたのです。
しかし、残念ながらそれができる人の方が、珍しいくらい。しかも、結局それらは各現場、各職場の個別最適での運用でしたから、全体の制度としては機能せず、だんだん下火になっていったのです。
能力評価に変わる評価の仕組みとして、次にクローズアップされたのが『行動評価』でした。
保有能力ははかりたくても、測れない。それに、そもそも能力を持っていても、使ってくれなければ意味がない。そこで注目されたのが、『行動』です。
行動評価の評価基準は、「モデル行動」です。
たとえば、論理的思考力であれば、
『根拠となる事実やデータを収集し、その根拠に基づいて論理的に仕事のしかたや問題解決策を提案している』
といった文言で、期待する行動イメージを設定します。
評価者は、こういう行動をとっていたか、いなかったか、という視点で評価をしますが、その尺度は次の二通りあって、そのどちらか、または両方を組み合わせる形で制度化するのが、一般的でした。
一つ目の尺度は行動レベル。期待したよりも、高いレベルの行動をとっていたら加点、期待したレベルを下回る、不十分な行動なら減点。
二つ目の尺度は頻度です。『常にやっていた』が最上位で、『おおむねやっていた』『やっていた』『やっていないことがあった』『まれにやっていた』『やっていなかった』というように、頻度で尺度化します。
行動評価の問題点は、まずは基準があいまいになりやすいことでした。
行動レベルで尺度化した場合は、基準となる「期待」がどの程度なのかを具体的に示しにくいという、能力評価と同じ問題に突き当たります。
文言の中に「適切に」とか「十分な」という修飾語が入っていることが多く、それがどの程度なら「適切」なのか、「十分」なのかが、現場任せになる。結果、上司のさじ加減一つという、能力評価と同じ結果になります。
頻度の場合も同じで、
「一回でもやらなかったら、減点なのか」
とか、
「そもそもすべての行動を把握できるわけがない」
という現実的な問題もあって、結局のところ、主観と想像、もう少し言えば感覚的なイメージで評価するしかなくなります。
行動評価が何よりも問題だったのは、
「モデル行動をとれば、おのずと成果は出る。」
という、前提条件でした。成果を出している人の仕事のしかたを分析して、その仕事のしかたをモデル行動に落とし込みます。
「そうやって、成果を出している実績があるのだから、他の人もそれをすれば成果が出ないわけがない。」
という建前ですが、そのモデルとなった本人たちですら、いつも同じ行動をとっているわけではありません。
たとえば、誰かを説得するときに、毎回論理的に説明するとは限りません。相手を見ながらアプローチを使い分けている方が普通です。
『行動』を表面的に真似るだけでは、成果は生まれない。
それにもかかわらず、成果と切り離して『基準に書かれた行動をとっていたかどうか』で評価をしますから、妥当性や納得性が低い。評価者も被評価者も、その矛盾にどこかで気づきますから、結局は、
「成果が出ていたから、行動評価を低くするわけにいかない。」
と、業績評価と混同させたり、
「あんなに頑張っていたから。」
と、情意効果に偏ったりというように、論理性や客観性を失っていきます。
このように、『基準』のあいまいさや、それを評価するための『事実根拠』の捉えにくさ、またはその論理的整合性の脆弱さが、能力評価、行動評価のいずれについても問題だったのです。
コンピテンシーという評価の視点は、この『基準』や『事実根拠』をより客観的にとらえ、何よりも『能力』と『成果』の結びつきを、わかりやすく整理しようとして作り出されたと言っても過言ではありません。
能力評価と行動評価、それにコンピテンシー評価は、混同されがちですが、明確な区別をつけやすい切り口があります。
それは、時制です。
能力評価制度は、『現在』の評価です。この人は、「いま」どのくらいの能力を保有しているか?という視点です。
行動評価制度は、『過去』の評価です。この人は、「これまで」どのくらいの行動を、どのくらいの頻度でとっていただろうか?
コンピテンシーは、『未来』の評価です。この人は、「今後」どのくらいの成果を期待できるのだろうか?
このように考えれば、3つの制度が全く違うものだというのが、容易にご理解いただけるのではないかと思います。
次回は、これらの『能力評価』や『行動評価』と対比させながら、コンピテンシーの評価尺度の考え方をご紹介しようと思います。