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今日の一言

ハードルを下げよう

 このところ、研修の受講者の方々や、コンサルティングの現場で出会う経営者や社員の方々から、似たようなご相談や愚痴をいただく。で、そのたびに同じ答えを繰り返しているので、それをここでまとめてみようと思った。

 どんな相談か。言い方はいろいろだが、要約すると「相手が思った通りに動いてくれない」という内容だ。その相手もいろいろ。部下であるケースもあれば、上司の場合もある。他部門や、お客様の場合も。その人が動いてくれないと、困る。だけど、動いてくれない。ストレスもたまるし、仕事が手につかない。
 そういう相談をいただいて、よくよく聞いていくと、二つの傾向があることに気づく。
 一つ目は、相手に対する期待値が、相手の環境や能力に対して高すぎること。二つ目は、相手に期待する一方で、自分に対する「相手の期待」を気にしていないことである。
 まず、相手に対する期待値について。どんなサービスや商品を思い浮かべていただいても同じだと思うが、通常、期待値と満足度は反比例する。同じサービスを受けたとしても、期待値が低ければ、サービスを受けた後の満足度は高くなる。逆に、最初の期待値が高ければ、満足度は相対的に低くなる。当たり前だ。このメカニズムは、消費の場面だけでなく、人間関係でも同じことが起きる。相手が「思った通りに動いてくれない」と、不満足を述べる場合、そもそも相手に対する期待値は妥当だったのか、という検証が必要だ。単純に言えば、「思った通りに」の「思った」内容が妥当だったのか、という話である。
 たとえば、「新入社員が、言われたことしかやらない」と不満を述べる。または「具体的に作業指示をしないと動かない」と愚痴る。それを「どうしたら自分から、言われなくても動くようになるか?」と、相談されるのである。この時点で、相談している人の期待値がわかる。
「新入社員は言われたことだけでなく、自分でやることを見つけて自発的に動くべきだ。」
「細かく作業指示をしなくても、自分で考えて動くべきだ。」
 この期待値が妥当かというと、普通は妥当ではない。普通は、というのは、単純に言えば、どこの会社の等級制度を見ても、最初の等級は「上位者から作業レベルの指示を受けながら、定型業務に取り組む」といった定義になっているからだ。それができていればOKであり、それ以上できていたら加点である。つまり、「言われたことだけを、細かい作業指示をうけながら、きちんとやる」という要件を満たしているのなら、不満を言われる筋合いはない。
 それ以上を求めるならば、二つ目の「相手の期待値」にも配慮しなければならないのだが、それがおろそかになっているので、出口が見えなくなっている。
 たとえば、「言われたことをきちんとやっている。当然、最初は作業指示を受けていたが、最近はそれも必要なく、きちんと一人でできるようになってきた」という新入社員がいたとしよう。この新入社員は、先輩や上司に何を期待するであろうか? 普通に考えたら、「よくやってるね」と認めてもらえるものだと思っているだろうし、その期待は決して不相応なものではない。だけど、勝手に引き上げられた期待によって、「思った通りに動いてくれない」と、言われる。
 じゃあ、ということで、この新入社員が「言われた以上のことをやろう」と、決意したとする。何かやるにしても、何でもいいというわけではない。そこで、やる気になった新入社員は、何を期待するだろうか?「どんなことをやればいいのかを、示してほしい。」「やったことのないことに取り組むには、そのやり方やゴールについて相談に乗ってほしい」と、そう考えるのが普通だろう。逆に、そういうインストラクションすら何もなしで、言われたこと以外のことをやれ、と言われたなら、「なんでもいいから、やれば認めてもらえるんだな」と、期待するのが当たり前だ。だけど、いずれの期待にもこたえてもらえない。「たとえばどんなことをやればいいですか?」ときけば、「ぞれを聞いたら意味がない」などと皮肉を言われ、何も聞かずに何かをやれば、「そんなことをやっても意味がない」と、否定される。
 私たちの期待値というのは、自分に対して甘く、他人に対して辛い。当然、自分に対する満足度(自信や評価)が高く、相手に対する満足度は低くなる。「私が新入社員のころは」と、自分との比較で現在の新入社員に不満を述べている人は、十中八九、この罠にはまっていると思うくらいがちょうどよい。
 余分なストレスをため込まず、円滑な人間関係や職場環境を実現するためには、まずは、自分以外のすべての関係者に対する期待値のハードルを引き下げることをおすすめしている。もし、相手に対して不満を感じた場合には、先に「自分が相手の期待に100%こたえる」ことを考えてみる。そうすると、自分に甘い私たちは、その期待に応えることの大変さに気づき、「相手に対する期待が高すぎたな」と気づくことができる。
 心の平穏を求めるならば、あらゆることについて、期待のハードルは低いに越したことはないのである。