2018.06.26
質問という形の承認欲求に要注意
質問にもいろいろある。研修やセミナーはもちろんのこと、普通の打ち合わせや交渉、折衝といった場面でも、特に気を付けたいのが、「質問という形をとった承認欲求」である。
ちょっとわかりにくいので、研修の一場面を例にとって紹介したい。たとえば、重要性の判断について講義をしているとする。講師が、「確実に、デジタルに重要性を判断したければ、想定されるダメージの大きさを定量化すればよい」という趣旨の説明をしたとしよう。何か質問はありませんか?と、質疑を受け付けた時に、こんな質問が出てくる。
「なんでもかんでも、定量化できるとは限りませんよね?」
「ダメージを定量化できない場合は、どうしたらよいのでしょうか?」
この時、単なる質問だとうけとめて、
「少なくともビジネスの場面で、成果やダメージを定量化できないということはないはずです。こんな風に考えていけば、定量化できますよ。」
などと、杓子定規に断言してしまうと、これをきっかけに場が炎上しかねないので、注意を要する。
質問には二通りある。答えを求めている質問と、答えを求めていない質問だ。後者について言い方を変えると、すでに自分で答えを持っていて、それを認めてほしいという「要求」を、質問という形で突き付けている。そういうタイプの質問である。
この「要求」の性質をもう少し掘り下げてみると、中には意外と根深い問題につながっていることもある。それが「承認欲求」である。単に自分の持っている答えを肯定してほしいだけなら、それほど深刻にはならない。だけど、たとえば上記の例で、実際に自分がどんなに悩んでもリスクの定量化ができなかった、それについて上司からも何度もできるはずだと要求されたが、結局できなかった。そういう経緯があったとしよう。そういうケースでは「あらゆるダメージを定量化できるわけではない」と、講師が認めることが自己肯定の根拠となり、言い換えれば自分に対して定量化を強要してくる上司への否定根拠にもつながる。心の平安を得ることができる。
ところが、ここで講師が「あらゆるダメージは定量化できる」と否定すれば、自分の能力不足であることを認めなければならない。自己否定につながる強い圧力になるのである。だから、全力で抵抗する。こんな場合はどうなんだ、あんな場合はどうなんだ、と。それを一つ一つ論理的に、こうすれば定量化できる、それはこうやって定量化できると、講師が相手のためにと思って、親身に答えてあげるほど逆効果。答えれば答えるほど、相手を追い込むことになる。基本的に相手が納得することはない。
打ち合わせや交渉の場面でも、同じような場面をよくみかける。相手が何気ない様子で「この納期は、もう少し早まりませんか?」と、質問してくる。そんなに強い口調でもないし、本当に単なる質問にしか聞こえない。そこで、「それが限界です。それ以上は早めることはできません」などと断言してしまうと、いきなり怒り出したり、または「でしたら、この件はなかったことにしましょう」と席を立ってしまったりというように、思いもよらない反応が返ってくることがある。このとき相手は、納期そのものができるかどうかよりも、「自分のためにどれだけ親身になってくれるかどうか」という、相手の姿勢を無意識に審査しているのだ。自分を尊重してほしいという承認欲求。それを否定されると、単に質問に答えただけなのに、自分そのものを否定されたような錯覚に陥る。
単なる質問か、それとも承認欲求の表れなのか。それを質問の内容から見分けることは難しい。だから、質問に対しては常にそれが「承認欲求の表れかもしれない」という前提で臨んだほうがいい。具体的には、いきなり断定的な答えをしないほうがいい。
まず、相手の質問に対して、「○○さんは、すべてのダメージが定量化できるわけではないというご意見なのですね?」という受容の形で確認をしてみる。相手の答えがイエスなら、「そうですよね。なかなか定量化できないことってありますよね」というように、共感を示す。そのうえで、「すべてのダメージを定量化できるかどうかはわかりませんが、こんな風に考えていくと、定量化できることもありますよ。ぜひお試しください。」のような形で、相手の意見も受け入れつつ、質問に答えていく。相手の存在や能力そのものを否定しないように。
むろん、こういう対応に絶対こうすれば間違いないなどということはないだろう。なにげない質問の裏に、こうした深刻な背景が隠れている可能性がある。まずは、それを意識の片隅に置いておくこと。それだけでも、無用のリスクをいくつかは回避できるのではないかと思う。