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今日の一言

育成の手順  

春休みだ。子供の話である。ただ、期末はみんな忙しいので、研修もプロジェクトミーティングも少ない。そのため、私が子供の宿題を見る機会が飛躍的に増える。
算数の宿題などは、社会人の育成とほぼ同じフレームワークが使えるので、非常に指導がしやすい。コンピテンシー開発の前提として用いる行動発生過程『状況認識→意図形成→方法立案→行動化→成果創出』に照らし合わせて、子供の正答・誤答のプロセスを分析してみるのである。そうすると、たとえば文章題を解くプロセスを分析すると、(1)状況認識から意図形成に該当するのが文章の読み取りが正確にできていて、出すべき答えが明確にイメージできるところまで、(2)方法立案は、そこでどんな技術を使って解くのかを導くプロセス、これは小学生の算数で言うと、図や式を書くところまでか。(3)行動化(知識・技術)は、実際に計算をして、答えを導くプロセスとなる。
こうやって当てはめて、子供がどこで間違えたり、悩んだりしているかをチェックしてみる。(1)で引っかかっている場合、これは算数の問題ではなく、国語力の問題だ。なので、問題の読み取り方を練習する。(2)のところがおそらくは算数の一番の差別化のポイントであろう。算数が得意、不得意というのを考えるならば、(2)ができるか否かと言っても過言ではない。どんな問題の時は、どんな技術を使って解けばいいのか。この訓練が算数の成績を左右すると言ってよい。(3)については訓練の問題だ。単純に計算ミスをしない。それだけ。基礎力とも言えよう。
で、うちの子の場合だが、(1)のところと、(3)のところで引っかかるのである。問題の読み間違いと、計算ミス。これで落としているケースがほとんどだ。意外なほど(2)の思考プロセスのところは正しい方法論を導いている(問題を読み間違えているから、選ぶ技術や方法も間違えるのだが。)
なので、パパとしては間違えても怒らない。答えが見当違いの数字になっていても「おしい!」と言ってやる。肯定的ストロークのオンパレードだ。だって、惜しいのだ。(2)が合っているということは、実質的には合っているのである。答えが違うのは結果に過ぎない。だけど、息子は不思議そうな顔をする。塾の先生や母親は、むしろこういう誤答のほうを問題視するからだ。曰く「もったいない」と。難しい問題は正答率が低い。正答率が低い問題はみんなが間違えるから差がつかない。正答率の高い基本問題で点数を稼ぐことが、受験対策または受験戦略という意味では正しいのだろう。
この点は、実は社会人の育成でも気を付けるべき点となる。本質的で難易度の高いところがしっかりできていて、基本的な部分でおろそかになっているのと、基本はしっかりできているんだけど、本質的で難易度の高いところができない人では、どっちが育てやすいか。どっちが成長期待が持てるか。どっちのほうが将来を見据えて投資する価値があるか。圧倒的に前者なのである。なのに、多くの職場では後者の方が「良い部下」として高く評価されているケースが圧倒的に多い。
基本がおろそかになる場合、多くは動機づけなどの意識面に問題がある。本質的で難易度の高いところがおろそかになる場合、それは能力面に問題がある(単純に言えば、能力不足)ケースが多い。子供の例で言えば、塾のテストでいい点を取るということに、それほど価値を見出していないのだ。だが、これから数カ月が過ぎて、いよいよ受験という意識が高まってくれば、「もったいない」なんて周りから言われなくても、自分自身が一番そう思う。そうなれば、おのずと訓練し、落とさなくなっていくのである。だから、今の段階では目くじらを立てない。肝心のところができているのだから、ちゃんとほめてやって、単純ミスに相当するところは「その時が来ればできるようになる」ということで、ほっといてもいいのである。
大人も一緒だ。本質的な部分がしっかりできているのに、基本がおろそかになるということは、まだそれほど仕事に対する危機感や動機づけを得ることができていない。得てして「任されていない」ことがその原因となっていることが多い。だから、重しになっている先輩や上司が異動して、「自分がやらなければ!」という環境になった瞬間に劇的に化ける人が出てくるのである。だから、相手が行動発生過程の上流部分で仕事ができていないなら、しっかりと時間と手をかけて教育する。下流部分で仕事ができていないなら、むしろ仕事を任せて、意識を変えさせる。
結果だけを見ず、その結果の出し方をしっかり分析して、相手のウィークポイントに合ったアプローチを考えるのが、効果的な育成につながるのである。