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今日の一言

統制と惰性、習熟と慣れ;

いずれもビジネスの現場では紙一重の事象として観察できる。そして、この紙一重の差が仕事の仕方とその成果を大きく左右する。惰性や慣れというのは、感覚である。なので、脳みそをほとんど使わない。統制と習熟というのは、意志を伴った思考であり、常に脳みそを使って仕事をしている。
私はたいていの移動を車に頼っているが、自動車の運転というのは、統制と惰性、習熟と慣れの違いが如実に出るような気がする。スピードや車間距離。惰性と慣れ、感覚で運転している人は、あまりリスクを顧みない。頭が働いていないからだ。時速120kmで走行していれば、誰だってそのスピードに慣れてくる。これを習熟と勘違いしている人は、120kmという速度に見合った車間をあけようとか、そういうそぶりが見当たらない。短い車両間隔、速いスピードに慣れてくると、そこからは惰性で運転し続ける。そこから80kmに戻すと慣れや感覚が違和感をもたらすから、イライラしたりする。トラックの運転手が助手席のティッシュペーパーを取ろうとして、一瞬気を取られた隙に対向車線にはみ出し、乗用車を巻き込み、三人が負傷する事故が起きた。長時間運転席に座り、慣れと惰性によって生活空間と化すと、このような油断を生む。
仕事でも同じだ。いつもやっていると、慣れてくる。資料のコピーペーストを含めて、頭を使わずに作業と化していく。その結果、生産性は上がるかもしれないが、無駄や品質低下も生じていく。統制と勘違いして、日々自分に課している作業が、実は惰性に過ぎないというケースもある。たとえば、「私は毎日新聞を三紙読んでから出社している」というケース。これが統制によるものならば、「なぜ、三紙読む必要があるんですか?」という質問にこたえられる。それも、かなり具体的に。少なくとも「世の中の動きをつかむため」などという抽象的な言葉にはならない。少なくとも「人材の採用や処遇についての事例を集めて、自社の制度設計や運用に活かすため」くらいの表現にはなる。自己を統制できているということは、明確な意図があるからだ。同時に、「その意図が実現したケースとしては、どのようなものがありますか?」という質問にもこたえられる。統制できているということは、その効果を検証しているからだ。「先日、IT企業のA社が定年制を撤廃したという記事が出ていたので、その記事に登場していた人事部長にコンタクトしたところ・・・」のように、そこから具体的にアクションを起こして、成果につなげることができたという事例がきちんと出てくる。惰性や慣れで仕事をしている人は、「新聞を三紙読んでいるだけ」というだけで、それがなんの役にも立っていないということが多い。結果ではなく、プロセスに満足してしまうのだ。もしくはそのプロセスをこなしている自分に陶酔しているというケースも散見される。
毎日行っている会議、資料作り、作業。自分に課しているルール。それらが統制なのか、惰性なのか。上手に素早くできている作業が、習熟なのか、慣れなのか。常にセルフチェックして、後者であるならば、一度リセットしてみたほうがいい。ゼロベースで頭を使って組み立てなおすと、効果効率が劇的に改善することもある。