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今日の一言

変わる人、変わらない人;

あいかわらず路上で喫煙する人がいる。歩きスマホもなくならない。
職場でも同じような人がいる。部下を叱るときに、いまだに怒鳴る人。画面上で情報を受け付けることができず、なんでもかんでもプリントアウトする人。遅くまで残業していることが偉いと思っている人・・・現場観察をしながら挙げてみるとキリがない。
なんでも変えればよいというわけではないが、まったく変わらないとしたら、それはかなり問題だ。
きちんと変化している人は、いったい何が違うのか。言い換えると、変わらない人はいったいなにが欠けているのか。比較してみると、意外とその差を生み出す要素は少ないことに気が付く。(一つ一つはかなり大きい違いだが。)
職場や業務というところに限ってみると、変わる人と変わらない人の違いは大別すると二つあるように感じる。
一つ目は、「ありたい自分の姿」の持ち方だ。自分はこういう人間でありたい。変わる人はかなり明確にこれを持っている。自らの現状を客観的に評価したうえで、数年後、十数年後の自分がどうなっていると、よりよいと感じることができるか。これを具体的に描いている。目標設定が明確なのだ。変わらない人は、そもそも「こうなりたい」という自分の姿を描く気がない。漠然と現状に対して不満や不安を持ってはいても、それをこうしたいという目標設定がない。成り行きに任せていく中で、なんとなくよくなっていくといいなと、自分の生活の変化を外部要因に期待しているのである。自らの人生を自らの力で作っていこうという自律性がなんとなく足りない。
二つ目は、「社会の中の自分」という視点の有無だ。自分は周りからこう見られている。そういう認識を心理学の世界では社会的自己認識と呼ぶのだそうだ。変わる人はこの社会的自己認識をしっかり持っている。さらに、そのありたい姿も持っている。周りからこう見られたい。そして、実際にそう見られることができているかどうか、意識的にチェックして、そのギャップをどうしたら埋めることができるかを常に考えているのである。当然のことながら、まわり(=社会)の変化に対して敏感だ。情報収集も怠らない。まわりが変化すれば、自分に対する見方も変化するだろうから、「見られたい姿」も修正する必要が出てくる。そうやって、自分の「ありたい姿」を周囲の変化に合わせてアップデートしていくのである。変わらない人は、基本的に「まわりはまわり、自分は自分」という意識が強すぎることが多い。こういう姿勢が全く悪いわけでもない。自分をしっかり確立することは重要だ。だけど、そこに偏りすぎると、隔絶や孤立を生む。変わらない人は、周りの認識に鈍感だから、孤立しているということに気が付かない。「自分は人と違う。それでいいんだ」と、好意的に解釈しすぎているケースもよくみかける。
こうやって考えてみると、「変わらない人」に気づきを与えるためには、外部からのフィードバックが欠かせない。周りからどう見られているのか。現在のままでいいのか。自らそれを考えはじめないのだから、まわりから圧力をかけるしかない。一時期はやった360度評価というのも、こういう目的のためには有効なのだと思う。