2016.07.26
セルフコントロール;
ポケモンGOが物議を醸している。当然だ。ただでさえ歩きスマホが問題視されているのに、それを助長するからだ。
どれだけ社会問題化しても、歩きスマホはなくならない。セルフコントロールの困難さを象徴する現象だ。歩きスマホがやめられないということは、実はそれ以外にもいろいろな悪弊をやめられずにいる可能性が高い。それはそのまま、仕事の効率の悪さにもつながっていく。そういう人は往々にして、無駄な作業に工夫を凝らす。歩きスマホをしている人が安全に歩く工夫を凝らすように。
セルフコントロールを利かせるためには、自己客観視が不可欠だ。客観的に自分を観察する。それから自分のやっていることを客観的にメリット・デメリットの観点から評価する。たとえば、歩きスマホをしている人を観察して、それを自分に当てはめて理解することができる。「ああ、前を見ずに自分に向って歩いてくる人がいたら、腹が立つよな」と、人の振り見て我が振り直すことができる。歩きスマホで得られるものと、失うものをしっかりとシミュレーションして、「よくよく考えたらSNSを見ながら歩いたって、大した時間の節約にならないよな」とか、「それで事故にあったり、だれかと揉めたりして失う時間を考えたら、やめたほうがいいな」とか、そうやって考えれば、普通は割が合わない。
やめられない人は、そうやって一歩下がって客観的に自分を振り返ることができない。そうすると、感覚的に自分を正当化するのである。「歩きながら地図を見たほうが効率がいい」「歩きながらニュースをチェックしたほうが効率がいい」・・・そして、ポケモンGOに至っては、「歩きながら探したほうが、多くのモンスターを集められるから効率がいい」となる。しかし、よくよく考えれば、現実社会で事故に合うリスクと、仮想世界でモンスターを獲得できるメリットを比較すれば、ばかばかしいことこの上ない。そんな当たり前のことにすら、気づけないのだ。
スピード違反や歩きたばこ、自転車の交通違反・・・最近、こうしたセルフコントロールの利かない人々を町でたくさん見かける。同時に、企業の現場で業務観察をしていても、明らかなルール違反を個人で、または組織全体で正当化している事象もよく見かけるのである。しかも、それで成果が生み出せていれば救いもあるが、それすらもない。ハラスメントや無駄な資料作り、規律やしつけのためと称する無駄な儀式・・・誰もがマイナスだと自覚していながらやめられないこと。それをしっかりやめることができれば、職場や業務の水準が飛躍的に高まる。
まずは日常の細々したところから、セルフコントロールの訓練が必要だ。
※筆者はポケモンGOというゲームそのものには賛成も反対もない(興味もない)。たぶん、公園や自宅など、人に迷惑のかからないところで静止して、落ち着いて楽しめばよいのだ。たばこ、アルコール、パチンコや競馬などと同様、自己責任で楽しめない人間には、何を与えても迷惑行為につながるということなのだろう。ゲームのせいではないと思う。