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今日の一言

技より先に:  

 研修にしろ、コンサルティングにしろ、仕事柄、いろいろな知識やスキル、ノウハウをお客さまに提供する機会が多い。そうすると、多くのお客さまから「仕事で悩むことなんてないでしょう?」と、冷やかされることもしばしばだ。そういう時は、「悩まずに仕事ができるなら、こんな仕事はしてませんよ」と答えている。もし、悩まずに仕事ができているなら、技術を伝えるよりも悩まない方法をコンテンツにして売ったほうが、明らかに儲かるからだ。だけど、自分もそれができていないので、技を売る商売に甘んじている。
 研修で伝えられることは、おおむね知識と技術である。だけど、それらはツールに過ぎないので「使い方」が定まらないと出番がない。もちろん、その「使い方」まで知識として体系化することはできる。だけど、それすらも、気持ちがついてこないと行動化できないのだ。たとえば、いくつかの「こうすれば儲かる」というアイディアと方法論、プランがある。たぶん、それが実行できれば、かなりの確率で儲かる。だけど、非常に面倒くさい。そこまでやる気力がわかない。そうすると、その気力を奮い起こすために、「こんなにいい暮らしをしたい、儲けたい」という思いを強める必要がある。何度も自分に言い聞かせ、未来を想像、言語化して、自分を奮い立たせなければならない。だけど結局、そこまでの欲が出てこないので、やらない。そこで、すべての知識、技術、アイディアは意味がなくなる。
 日常的な技術で言えば、たとえば子育て。肯定的なストロークを与え、適切に動機づけていくためには、相手の現在の状態を素直に認めてあげる必要がある。そこで必要のは絶対評価だ。頭ではわかっている。どうすれば子供がやる気になるか、知識では知っている。それが簡単にできれば悩まない。そこは生身の親なので、つい自分の期待値を基準にして「足りない」と考えてしまい、やれ漢字をきれいに書け、書き順を守って書かないとダメだ、算数の文章題は必ず式を書け、ひっ算は桁をそろえて書け・・・と、(彼にとって)無理難題を押し付ける。彼の現状をスタートラインにせず、自分基準で押し付ける。で、デモチベーションの引き金を引く。
 こういうときも、後でもちろん悩む。悩んだ結果、やはり自分に言い聞かせる。「彼はまだ字をきれいに書くことができない。だけど、計算の基礎はできてきたし、文章題の解き方もきちんとイメージできている。漢字も書き順は悪いが、きちんと形状を記憶することはできている。いまはこれでいいじゃないか。字なんて成長すればきれいになるし、それによってミスも少なくなる。この状態をきちんと認めてあげて、しっかり肯定してあげよう。それからまずは計算を確実にやるところだけを求め、ステップアップを促そう。それなら彼にできそうだし、効果にもつながりやすい・・・云々」

 あらゆる技術は、それを駆使するメンタルセットをきちんと整えられるかどうかが、最も重要なのだ。それができないとき、私たちはやっぱり悩むのである。頭と気持ちのすり合わせ。それが簡単にできる方法があったら。そう思いつつ、常々模索の日々が続いている。